そして、町の中心地のショッピングモール内のテイクアウトのお店のテラス席で、遅いお昼をしている時、隣のテーブルに突然、アボリジニの5人家族がやって来たのにはビックリしました。それまでにテレビで何度か、彼らの事を紹介する番組を見た事が有りましたが、隣の席で話す機会があるとは思いもしませんでした。もちろん会話らしい会話では有りませんでしたが、アボリジニの若い世代の人達は、素朴だけど、それなりに近代的なケアンズの町に馴染んでいる様子が覗えるひとときでした。
 私は、近眼用度付レンズの入ったシュノーケリングマスクを借りて、「女性の日」だと云うカミさんを残して、さっそく素潜りを楽しみにデッキへと下りていきました。そこで、顔を海に突っ込んでビックリです。水深10mぐらいでしょうか、海底がくっきりと見えるのです。それほど海が透き通っていました。私は,下関の西の端に浮かぶ彦島生まれです。子供の時から、海で遊びながら育ちました。だから、海には馴れています。でも、こんな海を見たのは始めてです。水深約10mの海底がはっきりと見えるのです。3階建てのビルの屋上の端に立っているのと同じ感覚です。もちろん、そこからジャンプしても落っこちはしないのですが、一瞬ですが、始めて海に飛び込む様な不安を感じたものです。
 私がテーブルを離れて30分ぐらいした時、近くのテーブルにいた若い西洋人の夫婦がやって来て、赤ちゃんを預かって下さい、と云って置いていったそうです。うちのカミさんは、ほとんど英語はわかりません。でも、二人の気持ちは良く分かったそうです。始め、ダンナの方が一人で泳ぎに行きました。でも、直ぐに帰って来ると、赤ちゃんを抱いた奥さんに、目を輝かせながら、どんなにここの海が素晴らしかと云う事を説明している様子だったそうです。そして、二人して、うちのカミさんに頼みに来たのだと。その時、奥さんは、まだ、水着に着替えていなかったそうです。赤ちゃんを預けると、ダンナは奥さんの水着を持って、早く着替えさせるように二人で更衣室に入って行き、着替えた衣服もダンナが片付けて、一時も早く奥さんを海に連れて行きたいようだった、と云うことです。
グレートバリアリーフのハプニング
 どんなに不恰好かと云うと、左の指からは血が出ています。それを少しでも止めようと右手で傷口を押さえています。そんな格好で、ゆらゆらする海からデッキに上がろうとすると上手くいかなかったのです。ポンツーンに上がったら上がったで、床にぼたぼたと血が落ちています。テーブルに座っていた人達も集まってきました。でも、私は何処に行ったらいいのか分かりません。私は、恥ずかしさを撃ち捨てて「スタッフはいませんか?」と下手な英語で叫びました。うちのカミさんは赤ちゃんを抱いているので近寄って来ません。
 私の指は、その競争の犠牲になったと云う訳です。そんな事は無いと思いますが、バイキング料理を手掴みで食べたので、匂いが残っていたのじゃないか?なんて云う人もいました。そして、8年後の今でも、私の左手のひとさし指には、その魚の歯型がくっきりと残っています。
 あれは、今から8年前の事になりますが、私は、オーストラリアのグレートバリアリーフで魚に食べられそうになった事があります。冗談だろ!ってお思いになるでしょう。でも、食べられそうになったことは事実なんです。
 ケアンズ2日目、私達は、日本の会社(大京グループ)が運営する観光船で、グレートバリアリーフ1日観光ツアーに出かけました。午前中はケアンズ港から50分の処に有るグリーン島に上陸します。その島は絵に書いた様なさんご礁の小島で、コーラルシーにぽつんと浮かんだ姿は、良く観光パンフレットの表紙を飾っています。そんなコーラルアイランドで、のんびりとトロピカル気分を味わった後、いよいよ沖のリーフに浮かぶポンツーン(人工の浮き桟橋)に向かいました。
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グリーン島で

もちろん私ではありません

1994年12月30日

 そんな彼らのさわやかさに、私は、傷の痛さも癒されて、日本に帰ったら、英会話スクールに入会しようかな?などと思ってしまいました。
 ちなみに、帰りの船の中で、あの赤ちゃんを抱いた若夫婦は、私達の席の隣にやって来て、何度も何度も、私達に感謝の気持ちを伝え様としていました。彼らは、1年半ほど前、ダンナの会社の指令でノルウエーから、オーストラリア南部のアデレードに赴任して来たそうです。オーストラリアに来たからにはグレートバリアリーフで泳ぎたいと二人して念願していたけれど、直ぐに、赤ちゃんが出来たので、今まで延び延びになってしまったと、英語力不足の私に、一生懸命話してくれました。
 そして、その大きなポンツーンには、管理事務所やシャワー付更衣室等が乗っかっています。観光船には100人ぐらい乗っていました。ポンツーンの中央にはバイキング形式の昼食が用意されています。船から下りた観光客は、それぞれ好きなテーブルに陣取り、さっそく海に入る人もいれば、取合えず昼食にする人とさまざまです。若い人達は、体験ダイビングの申し込みに列を作っていました。
 赤ちゃんは、見知らぬ東洋人のオバタリアンに抱かれていても、動じる事無く、にこやかな笑顔を私達に振りまいていました。赤ちゃんをあやしながらも、その間、私は、一時も早く海に戻ろうと、バイキング料理を手掴みで食べていました。
 1994年の年末に、私達は念願のオーストラリア旅行に出かけました。当時は福岡空港からオーストラリアのケアンズに直行便が飛んでいまして、夜の8時過ぎにテイクオフすると、次の日の朝早くケアンズに到着でした。グレートバリアリーフに面した海岸傍のホテルにアーリーチェックインして、お昼まで仮眠した私達は、熱帯雨林の小さな町ケアンズの街中へ昼下がりのうだるような暑さの中を出かけて行きました。
 ひとしきり泳ぎ回った私は、バイキング料理を食べようと、カミさんの待つテーブルに戻って、唖然としました。なんとなんと、うちのカミさんが1歳未満と思われる西洋人の赤ちゃんを抱いているではないですか。何が起こったのかと、ゆっくりと聞いて見ると、カミさんの話はこうです。

ケアンズの動物園で

 そうです、ナポレオンフィッシュと遭遇したのです。その魚は畳1畳ほどの大きさで、頭の部分の大きなこぶが特徴の、不思議な緑色したハタの仲間の熱帯魚です。
オーストラリア編
 ギャーと思った次の瞬間には、私の目の前は、私の指から流れ出た鮮血で汚れてしまいました。すると、その魚はぷいっと身を翻し逃げていきました。海の中だから、流血は当然止まりません。仕方無しに戻ろうとデッキ近くに泳いで行くと、いまいましいことに、私の流れ出る血を見た一人の男の子が、「うわー!サメが来る!」と叫んでしまいました。「そんなアホな」と思いますが、デッキ近くで遊んでいた子供やその親御さん達は、一斉にポンツーンに上がろうとしています。私は、子供達に「大丈夫だよ」と言いながら、皆の注目の中、不恰好にデッキに上がっていきました。
 やっとスタッフのお姉さんが事務室に連れていってくれた時には、床にはかなりの血が落ちていました。その体格の良いオージーガールは、良く有る事ですと、何気ない様子でした。どんな魚だったかと聞くので、黄色い5、60cmの魚だと云うと、やっぱりね!って感じでした。彼女いわく、この辺の魚は、観光客ように集まってくるように餌付けをしているそうです。特にナポレオンフィッシュの為なんだけど、そのおこぼれに預かろうと、他の魚が競争するのだそうです。
 そのポンツーンはケアンズ港から船で1時間半ほど沖合いに出た処のグレートバリアリーフの中程に錨で係留されています。そもそも、グレートバリアリーフはオーストラリアの東海岸沖合いにある南北約2000kmにもおよぶ巨大なバリア(柵)のようなリーフです。もちろん世界遺産に登録されています。ケアンズはその玄関口なのです。
 一休みした私は、再びシュノーケリングマスクを着けて、気持ちの良いコーラルシーの散策に出ました。そして、今度はポンツーンの裏側に行って見ようと、角を廻った時です。海底のサンゴの影からナポレオンフィッシュが現れたではないですか。驚嘆していると、あらんことか、彼は私の方向に、ゆっくりと浮上を始めました。私は、反射的に近づこうと思い、両手を伸ばし潜水を開始しました。次の瞬間です。左の手に5,60cmの魚が食らいつきました。そして、魚独特の、猛スペードの口の動かし方で、私の指を食べ様としました。あのぎざぎざに並んだ上下の歯を、猛スピードで上下に、ガジガジっと動かしながら、指をもぎ取ろうと、からだ全体を震わせるのです。
 そんな、いきなりのカルチャーショックで始まったケアンズ初日は、ホテルの部屋で夜、眠りに着くまで、次から次へと、いろいろな出来事が有った一日でした。その事について話していると、グレートバリアリーフでのナポレオンフィッシュとの遭遇に行き着かないので、話を進めます。
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 それから、しばらくの間は、空中を水平に浮いているような、なにか落ち着かない感覚が続いていましたが、真っ白いサンゴの間に、テレビでしか見た事のない色鮮やかな熱帯魚達をあちこちに見つけている内、いつしかシュノーケリングに夢中になっていました。