オリーブの木も沢山ありましたが、時期的に果実は、まだ熟していないようでした。
熟して黒くなるよりきれいですね。
2日前の26日の17時に福岡空港を出発した私とカミさんを含むツアー客14人は昨日27日の夕刻にモロッコで1番大きな都市「カサブランカ」に到着し、その日の内に第4の都市「マラケシュ」のホテルにチェックインしました。
そして今日からモロッコ観光の始まりです。
ホテルからメディナ(旧市街)に向かう途中のバスの中からの撮影です。
街路樹は「ナツメヤシ」です。路線バスも、おまわりさんも、車も、何となくヨーロッパ風でしょう。バスの後ろに写っているのはフランス産の古いシトロエンです。モロッコは1912年から1956年までフランス領でした。
最後になりましたが、迷路の中の単なる壁の写真です。
気が付きましたか?
全ての写真に写っている建物の壁の色がピンクだったことに!
正確には赤とピンクの間ぐらいですが、モロッコ全部がこの色です。
オレンジの生ジュースのスタンドが各所にあったので僕は飲みたいと思いました。
そこで、あるスタンドの前に2人で立って2杯注文しましたが、皮ごとジューサーにかけるのですが、コップをバケツの汚い水の中で洗ったのを見たカミさんは、飲む前に僕を置いて逃げてしまいました。僕は一杯だけ飲んで、お金は当然二杯分払いました。
と、云っても一杯 3ディルハム約36円ですがね。
メディナ内にあるクトゥビア・モスクのミナレットです。
イスラムのモスクには必ず、このようなミナレット(塔)があります。(多分?)
今まで数多くのミナレットを見てきましたが、このクトゥビアのミナレットは
本当に美しいミナレットでした。
ちなみに屋根の上の三角矢印はメッカの方向を示しているそうです。
「コウノトリ」が気になりますが今回の旅行には、重たい望遠レンズは当然ながら持っ行きませんでした。
彼らは、ヨーロッパとアフリカを行き来していますが,このつがいは最近戻って来た、と云うことでした。
馬車が通っていますが、この後、歩き廻る迷路のようなスークの中では、馬車も通れない狭さです。
写真を見て気が付きましたが、右のおじさんはニワトリを何羽もぶら下げていますね。
お向かいのスペインでも街路樹はオレンジが多かったけど、
ここモロッコでもオレンジの木が、たくさん街路樹として植えられていました。ただし食べても苦くて美味しくない種類だそうです。
城壁に囲まれたメディナ(旧市街)の出入口の一つです。
「コウノトリ」のツガイがいたので、そっちに目が行ってしまい、城壁の門全体の写真を撮ることを完全に忘れてしまいました。
城壁の内側に入りました。
この写真では、どんなに長い城壁なのか?さっぱり解りませんが実際には、11世紀ごろ造られた長い長い城壁がメディナ全体を取り囲んでいます。
メディナ内の駐車場近くに、この「ジャマ・エル・フナ広場」があります。
通称「フナ広場」でして、メディナの中のスーク(市場)で迷子になっても、
”フナ、フナ”と叫べば道を教えてもらえると、現地ガイドに最初に教えられました。
このフナ広場は、かなり広いのですが、夕方からは屋台が出て、
大道芸や人波でお祭り騒ぎになるそうですが、
僕らが訪れたのは午前中だったので、残念ながら穏やかなものでした。
いよいよスークに入っていきます。
ここからは車両進入禁止です。
この辺りから、本格的に混雑が始まったので、ガイドさんについて行くのが大変になってきました。でも、僕はまだ余裕で写真を撮っていました。
しかし、ちょっと目を離した隙にグループのみんなの姿が見えなくなりました。
実際は、この写真の前方にいたのですが、現地ガイドさんが待ってくれなかったら、僕は迷子になっていたかも?です。 カミさんだって、グループの他の人達だって自分のことで精一杯だったようだからですから!
少し余裕のある処で撮った写真です。
今風に言えばスイーツ屋さんだろうと思いますが ・ ・ ・ ・ ?
こんな大きなアンモナイトがあるんですね。
午後から行く山岳地帯は、大昔は海だったそうです。
このおじさんが現地ガイドさんです。
何となく面白ろかったので撮ってみましたが、何屋さんなのか?分かりませんでした。
香辛料かドライフルーツだと思いますが、ガイドさんに聞く暇などなかったからです。
路地の小さなお肉やさんです。
肉屋の前には、必ずネコがいました。
イスラム教徒はネコを特に大事にするそうです。
なにか理由があったのですが、忘れてしまいました。
肉の卸屋さんですかね?
ぶら下がっているのは、多分、ヒツジ! 豚では決してありません。
店の奥で解体しているような雰囲気でした。
赤ピンクの町はどうして造られたか?
歴代の王様(モロッコは現在も王国です)が皆、この色が好きだったのか?
その答えは、後日。