その後、エーヤワディ川の川岸に建っている、柱と屋根だけみたいな、すごく開放的なレストランで、やはり中華料理のミャンマー風と言えそうな昼食を、熱風に近い川風を受けながら、広々とした素朴な木製テーブルでゆっくりと時間をかけていただきました。
昼食後は予定通り今夜泊るホテルに行ってチェックイン。そして約2時間の休憩です。シャワーを浴びて、しっかり昼寝が出来ました。
それもそのはず、ホテルに着いた時、知らされたんですけど、この日の外気温は43度だと言う事でした。43度って、もちろん初めての体験です。その上、雲一つ無い晴天で、その真っ青な空から降り注ぐ、強烈な光線も初体験でした。かと言って、あのアジア特有の湿気も無い訳じゃ無く、シャワー無しでは一日過ごせないところでした。

ミャンマー・カンボジア編

 昼寝の後は、それぞれ1ヶ所の寺院とパゴダを訪れ、最後にバガンで一番背の高いシュエサンドーパゴダのテラスによじ登り(まさに石畳の急階段を両手を使ってよじ登らないといけない)、バガンの遥か遠くの丘陵の向こうに沈んでいく夕陽を、そこに居合わせた見知らぬミャンマーの人々と、ただ黙ったまま静かに眺めていると、悠久の時が刻んだ地球の歴史の1ページの、ほんの片隅だけど、私もその中に確実に存在しているんだな〜!って言う感情が沸いてきて、なんだか嬉しくなった来た私でした。

 確かにティーローミロー寺院もアーナンダ寺院も、その内部に建物の中心部分を背にして四方に向いた3、4Mの大きな仏像が、それぞれ違った表情で安置されていました。我々はその回りの回廊をゆっくりとその表情の違いを確認しながら一周する事が出来ます。
でも私にとっては、内部の仏像よりも寺院の外観の美しさのほうが魅力的で、寺院から離れていく私達のバスを無理やり止めて、その写真を取らせてもらいました。

 それはシュエジーゴンパゴダです。マイクロバスがその参門前に着くと、モーさんが皆に裸足になるようにと告げます。ガイドブックに因ってパゴダでは、なんびとも裸足にならないといけないと言うことは知っていました。でも未だパゴダの姿なんか見えないのにな〜?って思っていると、敷地内は全て裸足だと言う事です。そして入り口に下足置き場はないからバスの中で脱いで行くと言う事でした。それはいいんだけど、一歩バスのステップを降りて皆おお慌てです。土が煮えてるンです。朝の10時頃だったんですけど、もう土がフライパンで炒ったんじゃ無いかと思える様な状態でした。

「モーさん、ちょっと待ってよ!」って感じで追いかけて飛びこんだ所が屋根付きの参道で、その長い長い石畳の廊下を日陰を選んで進むわけですが、無言の少女達が手にお土産品の小物を持って、私の胸に押し当てながら、ずっと付いて来るのには少々閉口させられました。そんなことで、足の痛みと少女達に気を取られながら歩いていた私は、突然、真っ青な空に向かって立ち昇るような、眩しいばかりに金色に輝く巨大なパゴダを目のあたりにして、驚きのあまり、その場に立ち竦んでしまいました。                      

2001年4月29日〜5月5日

 つい今しがたまで見ていたミャンマーの、決して豊かなとは言いがたい生活風景の連続と比べると、この目の前に広がる絢爛豪華なパゴダとのギャップは、いったい何処から来るんでしょうか?もちろん、このパゴダは今から何百年も前に造られたはずです。そして現在に至るまで、この豪華さを維持したのか、もしくは増進させたのか分かりませんが、彼らが、自分達の生活の豊かさをあえて犠牲(たぶん、そうだったと私は思うのですが)にしてまで、続けている背景には、やはり、ただひとえに信仰心なのでしょうか。

境内は人もまばらで静寂な中、10歳前後の少年僧たちが托鉢から帰って来たばかりなのでしょうか、にもかかわらず静かに歩いてる風景には、街中の喧騒とは裏腹に、なにやら自然に私達を敬謙な気持ちにさせるものが有りました。

 ちなみに男二人女四人の六人連れの日本人が、現地の人で込み合っている、観光客がまだ少ないマーケットの中をうろうろしていると、好奇の目で、ずっと見られてはいたけれど、なぜか不安を感じることは有りませんでした。それはやはり、彼らが小柄なせいも有るかも知れませんが、多くは、敬虔な仏教徒の国民がかもし出す、穏やかな雰囲気に因るところが大きいのでは、と思いました。

 そんな貧しいけれど心穏やかな日々を送っている人達の、それでも生活感溢れる市場を後にして、私達は、次に訪れた所で宗教の強大な力を見ることになりました。

 でも、マーケットの中には、何処から来たのか沢山の野菜と果物が所狭しと広げられていました。お店は皆、ヤシの葉で屋根を葺いた粗末な小屋の様なものです。そんなお店が2Mぐらいの通路の両側にずっと並んでいて、食料品、衣料品、日用雑貨、その他訳わかんないお店が、強い香辛料の匂いの中で混ぜんと、ざわめいているサマは、アジヤそのものって感じでした。

 ただ、魚屋さんが少なくて(バガンは内陸部)、小型の淡水魚ばかりです。たまに大きな魚だなっと思って近寄って見るとナマズでした。日本の様に流通が発達してないので、直ぐ近くのエーヤワディ川で取れる魚だけが商いされているのでしょう。そう云えば、日本の道路を走り回っている、あの保冷車を旅行中一度も見なかった気がします。(そもそも、そんなりっぱな道路が有りませんでした。)

 最初に訪れたのはニャンウーマーケットです。そもそも、バガンと云う町は、首都ヤンゴンから飛行機で1時間30分ぐらい北西に飛んだ所に有る11世紀から12世紀にかけて栄えた古都ですが、あの日本を襲ったクビライハーンの蒙古に滅亡させられたわけでして、仏教遺跡以外には何も有りそうに有りません。実際、その日訪れた所は、このマーケット以外は全てパゴダと寺院だけです。その移動中、バスの窓から見えるのは、ただただ赤茶けた起伏の少ない大地の上に、廃墟と化した無数のパゴダと寺院だけです。緑の木々は生えています。でも、森や林じゃないんです。日本では見たこと無い風景なので説明し難いんですが、あまり大きくない木が何処まで行っても点在しているんです。畑らしい所は見当たりません。

2日目

 この後、私達はミンガラジーパゴダ、ティーローミロー寺院、アーナンダ寺院と回っていきます。これらは皆大きくて有名なパゴダや寺院で、現役だったんですが、その道すがら、バスの窓から目に入るのは、無数の廃墟と化した、大小さまざまのパゴダや寺院でした。ガイドブックに因ると、その数およそ2000と言うことです。

ここでパゴダと寺院の違いについてモーさんから教わった豆知識。パゴダは仏陀の遺髪や遺骨の一部が内部に納められている所で、人が内部に入れない建造物です。一方寺院は仏像が納められている所で、人が内部に入れる建造物だと言うことでした。

<ミャンマー2日目>

 次の日は朝早くから起きてバガンへ出発です。泊ったホテルはそこそこりっぱなホテルで気持ちの良い朝を迎えられたのですが、8時頃バガン空港に着いてびっくりです。なんと気温が34度でした。朝の8時ですよ。日中は45度ぐらいになるんじゃないかと6人が不安がってると、モーさんが、その日の行程を教えてくれました。つまり、昼中は暑すぎて現地の人でも出歩かないそうです。だから我々もお昼ご飯を食べたら、さっさとエアコンの効いたホテルに帰って4時まで休憩と言うことでした。それを聞いて一安心した我々は、意気揚揚と強い日差しの中、観光に出かけて行きました。

3日目
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バガンの風景 シュエサンドーパゴダのテラスから
アーナンダ寺院
ティーローミロー寺院
シュエサンドーパゴダで出会った未だあどけない尼さん
名も無い寺院
名も無いパゴダ
托鉢から帰って来た少年僧達
シュエジーゴンパゴダ
ニャンウーマーケット
バガン空港
廃墟と化したパゴダ群