1、クライストチャーチのホテル火災

1996,12,28〜1997,1,4

町のシンボル大聖堂

クライストチャーチの市内

ハグレー公園内ローズガーデン

エイボン川

 深い眠りの底から小さなベルの音がしていました。どれぐらい時間がかかったのか分かりませんが、それが火災警報のベルだと気づいた時は心臓が凍り付く想いでした。ベッドから飛び出すと「起きろ!服を着れ!」とカミさんに大声をだし、部屋のドアを開け廊下を覗いてみました。火災報知器のベルはけたたましい音をあげていましたが、まだ誰も廊下に出ていません。火の気も煙も見えません。廊下の灯りは点いていました。とって返して窓のカーテンを引っ張り開けて外を見たけど7階の窓からはそれらしき様子は何も分かりません。ただ、数台の消防車のサイレンの音が直ぐ近くまで来ています。
 何時もホテルで寝るときは薄明かりにしているのが幸いでした。服を着替えて、旅行中に持ち歩くバックだけをお互いに持つと急いで廊下に出ました。目の前を右に走って行く人がいます。その人に着いて右に行くと、さらに右に曲がった先に非常口が見えました。外は月明かりで、その非常口から屋外の非常階段をゆっくり下りていく人の流れを見ることが出来ました。やっと人心地がついたものです。
 私たちはホテルの裏庭に誘導されました。ホテルのフロント方向には消防車や救急車のパトライトの光が幾重にも交差しています。油の焦げた匂いも少ししていました。遠目ながら、重大な火災にはなっていないようです。でも、私達二人は、体の大きな西洋人の聞き取れないざわめきの中で不安な時間を過ごしました。小一時間位その裏庭で待たされたでしょうか、非常階段に近い処から部屋に戻る人達の移動が始まりました。皆おとなしく降りてきた階段を上がっていきます。火災や安全性に関する説明は何も有りません。そう思ったのは私たちだけかも知れません。英語の説明は有ったのかも知れませんが私達の耳には届きませんでした。
ハプニングが一番多かったのは、ニュージーランドの旅です。なにせクライストチャーチに着いた初日のホテルで火災が有りました。当時、福岡からクライストチャーチに直行便が有りまして、私たちは夕方5時に福岡を飛び立つと翌日の昼前にはクライストチャーチに着いていました。
 情けないことに、語学力の無い私達は状況をちゃんと把握することも出来ないままに、ただ、他のホテル客がそれぞれの部屋に戻って行くのを見て「だいじょうぶだろう?」と判断し、私達も部屋に戻っていったのでした。
本当に情けない!
 クライストチャーチの空港には現地旅行社の人が迎えてくれて、半日観光とレストランでの夕食が付いていました。ホテルにチェックインしたのは夜8時頃でした。飛行機の中では良く眠れて無いので、ホテルに着いた時は眠かったのですが、そのまま寝るのは勿体ない気がして、近くのスーパーマッケットなどをぶらぶらしました。それでも、11時にはベッドに入ったと思います。
 非常階段は上の階から降りて来る人達で、かなり混雑していました。でも、誰もが皆静かです。たぶん、この非常階段からは何も危険な状態が見えないので誰もが安心しているのでしょう。そして、皆が他の人を気遣っています。裸足で、寝間着姿の老夫婦が何組かいたからです。誰かが我先に階段を下りようとしたら事故が起きたかも知れません。廻りは西洋人ばかりです。日本人は近くにはいません。私たちもゆっくりと月明かりの非常階段を下りて行きました。
 今回の旅行は大手旅行社の添乗員付きパックツアーではありません。福岡在住の旅行社が発行したクーポンを持って、カミさんと二人だけの個人旅行に近い不安な旅でした。だから、初日の火災にはびっくりしてしまいました。