決定したのは、ドイツ旅行から帰って直ぐのことですが、旅行社のパンフレットを集め始めて分かった事は、大手旅行社のラオス行きパッケージツアーは皆無だと云う事です。さもありなんと思いながら、ネットに何か良い情報は無いものかとネットサーインしてると、これが有ったのです。福岡からではなく関空からの出発が少し不満でしたが、関空までの往復旅費を加えても、20万以下です。これならと思って申し込みを済ませましたが、少し不安も有りました。当然ですが同行添乗員なんかいません。現地での半日観光が付いていますが、日本語の話せるガイドはいなくて英語のガイドになると云う事でした。
ラオスの穏やかな風
2001年12月29日〜2002年1月2日
さらに、ガイドブックやネットの情報では、首都のビエンチャンでさえ、見て回る処は、余り無いと云う事です。それなのに、2日半も、そこに滞在して、面白い事があるだろうか?と云う不安も有りました。実は、その首都ビエンチャンから北に飛行機で1時間ぐらいの処に、ラオスで唯一世界遺産に登録されている、日本で言えば奈良のような古都ルアンパバーンが有ります。私達は、そこにも行きたかったのですが、そこへ行くにはラオス唯一の国営航空に乗らないといけません。ところが、日本の外務省は、その9機しかない飛行機の5機は整備に問題が有ると云う事で、注意勧告を出していました。当然、カミさんは大反対です。その結果、ビエンチャンに2日半も滞在する事になってしまいました。でも、取り合えず、行ける国から行かなくっちゃ!、行けばどうにかなるさ!っと云う気持ちで出かけて行きました。
国旗
ラオスのシンボル、タートルアン
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プロローグ
 今回の年末休みの旅行は、2001年では3回目の旅行なので、当然、年間予算のオーバーとなります。そこで、費用の安い東南アジアで我慢しようと考えると、ラオスかブルネイの2国が未だ行って無い国でした。前回、ドイツ旅行(2001/10/6〜11)の最中に、アメリカによるアフガニスタンの空爆が始まりましたが、今回(2001年の年末)は、その攻撃も終息に向かっているとは云え、まだまだ、イスラム諸国の動静は油断のならない状況だと思われました。そこで、ラオスとブルネイでは、ラオスの方が少し安全かな?って云う気持ちが働いて、今回の旅行はラオスに決定しました。