ラオスの穏やかな風
2001年12月30日
なぜ、事足りたかと云うと、見て回るほどのものが無いからです。入国事務所を後にした私達の車は、メコン川沿いに30分ほど、西北に進みます。田園風景が続いてましたが、郊外らしい風景に変わって来たので、町が近づいたかなって思っていると、そこは、すでに、町の中でした。そして、随分田舎ぽいな〜って思っていると、直ぐに、私達のホテルに着いてしまいました。ホテルはそこそこりっぱな5階建てです。後で分かった事ですが、ビエンチャンにはそんな5,6階建てのビル(それ以上の高層ビルは無かった)は、20棟ぐらいしか無かったのです。それに、目の前の道路は、ビエンチャンのメイン道路のランサーン通りですが、私には、どう見ても、郊外ののんびりとした田舎道にしか見えませんでした。
1日目
宝石の目が抜かれた仏像
メニューは中華でした。漢字と英語の両方で書いてあるので、内容は殆どわかりました。でも、どうも、腑に落ちないのは、値段です。米ドルで表示してあるけど、随分安いのです。カミさんと二人で、これは、一皿の量がすごく少ないんじゃないか?などといぶかっていたけど、何時の間にか、3人の若いウエイターが、お茶など入れてくれながら、私達二人の為に待っているではないか。兎に角オーダーしなきゃと、スープとチャーハンと他に3品(豚と鳥とエビ)それに、ビール大瓶とコーラ。ところが、出てきた量にビックリです。私達の想像をはるかに越えたボリュームなのです。そして、味のほうも、ちょっと、素朴な感じはしましたが、十分いけるのです。
そこは、ラオスのシンボルとも云える黄金のパゴダです。でも、入場時間は4時までだったので、私達は中に入ることは出来ませんでした。だから、外から写真をたくさん取って帰りました。でも、ちょうど夕陽に照らされて、その黄金のパゴダは、なかなか見事に照り輝いているのでした。
それでも、なんとか、ラオス側の入国事務所を出ると、なんと、3人ものラオス人が私達2人を待っていてくれました。1人はマイクロバスのドライバーです。そして1人は正規の女性ガイドさんです。でも、そのガイドさんは、日本語は全然話せないと云う事なので、もう1人、現地旅行社の事務員さんが、少し日本語が話せると云う事で、一緒に来てくれていました。でも、その人の日本語のレベルは、私の英語力と同じぐらいで、結局、日本語と英語のごちゃ混ぜ会話になりましたが、それでも、十分事足りました。
メコン川で何かの漁をしている人々
橋の両側には、それぞれの国の出入国事務所が有りました。まず、タイ側を出国して、橋の上だけを往復する専用バスに乗ります。乗りますと言うよりも、入国する人は全員乗せられて(一人10バーツ)メコン川を渡りました。今度はラオス側の入国手続きです。書類は簡単でしたが、なにせ待ち時間が長くて長くて。西洋人や日本人らしき人もちらほらだけど、ほとんど現地の人達で、一緒に並んで手続きを待っていると、なんだか凄く辺ぴな処に来たようで、少し不安な気持ちになってしまいました。
 1日目といっても、関空からの出発は12月30日の早朝1時25分です。だから、前の日の29日の夕方5時に下関の家を出ました。JRを乗り継いで関空に着いたのは、9時半頃でした。年末とは云え、その時刻になると関空も閑散としていました。そこで、のんびりと時間待ちをして、乗り込んだフライトはバンコク行きです。そうです。ラオスには日本からの直行便が有りません。だから、タイのバンコクに飛び、さらに国内線でタイ北部のウドンタニと言う、聞いた事も無い町に行って、そこから陸路でラオスの首都ビエンチャンをめざすと云う事です。
私たちが泊まったホテル
タートルアンの敷地の塀
タートルアンの正門
ワット・シーサケート
ワット・ホーパケオ
ホームへ
2日目へ
プロローグへ
ホテルに帰ると、観光会社の人達は、2日後の、つまり、2002年1月1日の4時に迎えに来るからと言い残して、さっさと帰って行きました。残された私達2人は、取りあえず寝不足なので、部屋で一寝入りしました。目が覚めると、もう8時です。むりやりカミさんを起こして、急いで1階のレストランに行くと、お客さんも、従業員も、だーれもいません。オープンと云う看板を信じて入って行くと、若いウエイターが慌ててメニューを持って来てくれました。
 これは、残しちゃいけないと、時間をかけて、一生懸命頑張って食べたけど、全部はやはり食べきれませんでした。その間、若いウエイター達は、入れ替わり、立ち代り、私達の世話をしてくれていました。そして、最後に、その内の一人がうやうやしく持ってきた請求書をみて、私達は、にんまりとしてしまいました。二人が、たらふく中華をたべて、ビールとコーラも加えてたったの15ドルなのです。ついついルームチャージにしてしまったけれど、キャッシュで払って、その時、彼らにチップを渡すべきだったかな?と反省しつつエレベーターに乗って、長い長い1日を終えるべく、部屋に戻った私達でした。
それはさて置き、ホテルに着いたのが2時ごろだったので、とりあえずホテルのレストランで昼食にして下さい、と云う事だったので、ラオス風ラーメンをオーダーしてもらったら、これがなんと、今までに味わったことの無い超極薄味のラーメンモドキで、始めて日本になじみの無い国に来たんだな〜と言う実感が沸いてきました。その後、3時から3人がかりで観光に連れて行ってくれた処は、ホテルから車で直ぐ近くのワット・シーサケートとワット・ホーパケオと云う仏教寺院です。両方とも現在は博物館になっています。ワット・シーサケートは1824年の建立で歴史的価値は有るけれど、ワット・ホー・パケオは1942年に再建されたもので、伝統的な建造物の雰囲気は残されているものの、歴史的価値はなさそうでした。ただ、哀れなのは、両方の寺院とも随分多くの仏像が集められているのですが、過去のシャムとの戦いで、宝石が入っていたであろう仏像の目が持ち去られているのです。そんな2ヶ所のお寺の後にして、次ぎに訪れたのは、ビエンチャン郊外のタートルアンです。
バンコクに着いたのは、朝の6時(時差が2時間)頃でした。次ぎのウドンタニ行きは11時発です。時間が有り余っていたので慌てはしませんでしたが、私達のフライトの案内が電光掲示板に出ていません。少し様子をみていたけれど、一向に状況は変化しません。恐る恐る(英会話に自信がないから)インフォメーションで尋ねると、ウドンタニ行きは、離れた所に有る別棟のターミナルからの出発なので、シャトルバスで移動してください。と云う事でした。とにかく、時間が有るので、その別棟ターミナルの隅っこのベンチに座り、カミさんと二人で、行き交う人々のシュチエーションを想像し合って暇つぶしをするしか、他にする事が有りませんでした。
ラオスの出入国事務所です
タイのウドンタニ空港
11時発のウドンタニ行きに乗って、着いたのは12時10分頃でした。すごくローカルなターミナルのコンコースに出ると、私の名前をローマ字で書いた紙を持った人が出迎えてくれました。簡単な英語しか話せない、その人の運転するクルマで、おおよそ1時間北上して、着いた処は、ノーンカーイと言う小さな町でした。でも、そこは、タイとラオスの国境の町です。その町の北側には、メコン川が西北から東南へ流れています。そして、ノーンカーイにはメコン川で唯一の橋が架っていました。その「友好橋」と名づけられた橋を渡ってラオスに入国します。