中国(青島・天津・北京)

日目の事です。何処へ行った帰りなのか忘れてしまいましたが、その事件はある骨董店の前で起こりました。私達の乗ったバスの中に新聞社の記者がいて、その人の発案でホテルに帰る前に、町中の書画の骨董店に寄ってもらう事になりました。まったくの予想外の事なので、中国の添乗員さんは困惑顔でしたが、添乗役人と相談して、帰り道の途中に在るお店に寄ってくれました。

1980年10月1日〜10月10日

はっきり云って、恐怖さえ感じました。これは大変なことになってしまったと、不安で固まっていると、笛の音と共にお巡りさんが来たようです。私達はどうされるんだろ?と不安が頂点に達した頃、二人のお巡りさんが、民衆を押し分けて、私達の為に道を空けてくれていました。そうです、その骨董店まで、私達が歩けるよに道を作ってくれたのです。正に、民衆を掻き分けて出来た道を私達は歩いたのです。そして、お店の前は大混乱です。私達がバスに戻るまでお巡りさんは居てくれました。こんな事って有りうると思いますか?

それは纏足(てんそく)です。中国では、1000年もの昔から、女性の足は小さければ小さいほど美しいと云う美意識が有りました。それ以外の理由も有ったようですが。だから中国では少女の時に足の指の骨を折ってまで小さくする「纏足」なる奇習とも云える伝統が有ったのです。大人になっても当然成長しないように足は何時も布で縛っていた様です。そんな歴史的下地が有ったので、うちのカミさんの露出された素足は好奇の的になった訳です。あるいは非難もしくは蔑みの目で見られていたのかも知れません。

2007年 初掲載
2025年8月26日 リアップ
青島の骨董店
中山公園にて
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うちのカミさんの姿、形が好奇心で見られたのなら構いません。でも、彼らに不快感を与えたのなら、申し訳の無い事でした。もちろん、中国の添乗員さん達は、その事に付いては何も話していませんでした。当然、彼らは、政府の役人から訪問団に対して完璧なまでの「熱烈大歓迎」を指示されていた訳ですから。だから、この出来事が、中国の人達には、どの様に写ったのか、私達には分からずじまいでした。しかし、文化の違いが与える影響の大きさに、本当に驚かされた出来事でした。

もちろん現在の中国なら問題無いでしょう。でも27年も前のことです。カミさんの格好は日本でも派手でした。だから、当時、全ての人が人民服を着ていた社会主義の国民には異様に見えたのは無理も有りません。ましてや、チンタオでは太平洋戦争後始めて見るかつての敵国日本人です。それも、偶然に町で出会った特異な姿の日本人女です。好奇心一杯で人垣が出来てしまったのです。さらに背景には中国の昔ながらの風習も有りました。

私とカミさんは、一番最後にバスを降りて、そのお店までの広い歩道を歩き始めた時です。ふと気が付くと、かなりの人達が私達の廻りに集まって来ています。どうしたんだろな?って思っていると、彼らは皆、うちのカミさんの足元に注目しているようでした。そして、見る見るうちに、私達は身動き出来ないほどの民衆に取り囲まれてしまいました。どちらを向いても人民服の中国人で何も見えません。人垣の後ろの方で、現地添乗員が何か叫んでいます。

青島桟橋にて

でも、本当の出来事なのです。その日の夕食の食堂で、その事は大きな話題になりました。そして、中国の若い添乗員さんの説明はこうでした。うちのカミさんの真っ赤なサンダルと、その素足の指に塗られた真っ赤なマニュキアが中国人を驚かせたそうです。確かにその日のカミさんの出で立ちは派手でした。白いTシャツにぴったりフィットの緑のジーパンです。そして素足の上に真っ赤なサンダルです。紐のようなサンダルですから指の真っ赤なマニュキアが丸見えです。