中国(青島・天津・北京)
衝動買いをしてしまった胡弓

その胡弓を買い求めて、何と無く満足しながら4階へと階段を下りている時、同じ班のご夫婦と出会いました。その年配のご夫婦が「何を買ったの?」と聞くので胡弓を買いました。と答えると、私達も欲しいからそこへ連れてってと云います。そして、楽器売り場に戻って見ると、確か7つぐらい有った胡弓が2つしか残っていません。その1つをご夫婦が「それ下さい」と云うと、側にいた、別のご夫婦も「私達も買います」と言って。あっと云う間に、胡弓は売り切れてしまいました。

すでに夜のトバリは降りていました。メインストリートといっても町の中は薄暗く、僅かしかない街路灯の薄明かりの中、目を凝らして見ると、広い範囲に張られたロープの外には、同じ人民服姿の天津市民が、ざわめきもしないで、静かに私達を見守っています。何千人いや何万人居たかも知れません。ただ、じっと私達を見ていました。

チンタオ市を離れた我々訪中団は、「ゆうとぴあ号」で渤海湾を縦断し、次の訪問地天津へ到着しました。天津では、訪中団の多くの人が、本場の天津甘栗を期待していました。ところが、天津には天津甘栗が全然有りませんでした。現地ガイドさんいわく、95%以上の天津甘栗は日本に輸出されているので、地元の人達もほとんど食べない(もしくは食べられない)そうです。

1980年10月1日〜10月10日
天津のデパート

1階には、そのお目当ての、お茶と漢方薬と刺繍売り場が在ったので、訪中団の皆さんで混雑していました。私達は、その混乱を避けて、一気に最上階の5階に行ってみました。そこには、僅かな日本人しか来ていなくて、大勢の従業員は手持ち無沙汰の表情を見せていました。そんな中で、私は楽器売り場ですごく気に入った物を見つけました。それは、胡弓です。もちろん私に引ける訳も有りませんが。でも、その時は、その胡弓がすごく大事な物に思えたのです。値段は日本円で9000円だったと思います。

 

その5階建のデパートへ着いてビックリです。天津市一番のデパートだから、当然天津市のメインストリートに面しています。そのメインストリートにはロープが張られて全面通行止めになっています。つまり、我々訪中団の全てのバスがデパート玄関の出来るだけ近い位置に駐車出来る様にと全面通行止めにしてあるのです。だから、我々訪中団のバスは、デパート玄関前の反対車線にも駐車してしまった訳です。

2007年 初掲載
朝の天津市内の風景

その胡弓は、もちろん今でも我が家の飾り棚の中に、他の外国のお土産と一緒に収納されています。時々思うのですが、私達は、あの時非常に失礼な事をしたのかも知れません。その胡弓はお土産様に作られた訳では有りません。れっきとした高級楽器として楽器売り場に置いて有ったものです。私達は、もちろん、胡弓が中国の伝統楽器だと云う事は知っていました。でも、はなから楽器としてではなく、飾り物として見ていた訳です。ただ、値段が自分達には手ごろだからと買ってしまった訳ですが、しかし、その値段は当時の中国国民の月収の1.5ヶ月分だったのです。

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そんな天津でも、またまたびっくりする事がありました。その日一日の天津市内の工場見学と観光が終了した時、同乗の中国政府の人から、天津市内で一番大きなデパートを貸し切っているので、ホテルでの夕食の後に案内します。と云われて私達は皆、大喜びしました。日程表には、そんな事全然書かれていなかったからです。夕食後の夜7時頃、総勢500人の訪中団は30数台のバスで、その天津市で一番大きくて、新しいデパートへ大移動でした。

2025年8月26日 リアップ
早朝の公園で天津市民が太極拳をしているのを見ていたら老人が「これを持て」と云うので持つと写真を撮ってくれました。
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デパートは?と云えば、通常は5時に閉店だそうです。でも、その日は我々訪中団の為に、全従業員が5時から待機していたと云う事です。そして、全フロアで全従業員が配置に着いていました。それなのに、我々訪中団のお目当ての商品は限られていました。お茶と漢方薬と刺繍製品です。日本でデパートと云えば、そこは高級品が溢れンばかりに、所狭しと並べられているお店ですが、中国のデパートは、日本人にとって見れば、そうでは有りませんでした。

社長へのお土産にした竹細工の水牛(小物入れ)