最後の愕きは、北京へ行く途中にありました。その日は、天津から北京への日帰り旅行でした。何度も書きますが、私達訪中団総勢500人は30数台のバスに分乗して、朝早く天津のホテルを出発しました。

左がトイレハウスで右は畑です
中国(青島・天津・北京)

その対向車線の車の多くは年代物の平ボディーのトラックですが、荷台には目一杯の数の人が、まったく同じに見える人民服姿で立ったままで乗っていました。だから、すれ違うとき私たちのバスから見ると目の前に彼らの顔がある訳です。その顔、顔、顔が皆、心から私たちを歓迎しているような笑顔なのです。対向車はやっと動き始めたばかりです。1時間の通行止めの理由を知っているのか知らないのか分かりませんでしたが、彼らは皆、笑顔で私たちに手を振りながら見送ってくれていました。本当にマンガの世界のようでした。でも、真実でした。

1980年10月1日〜10月10日
2007年 初掲載

結局、私たちのトイレ休憩のために、その幹線道路は小一時間も閉鎖された訳です。そして、やっとバスが再び北京に向けて走り出して気が付きました。対向車線には何キロにもわたって車の渋滞が出来ていたのです。幹線道路が小一時間も止まっていたのです。当然の光景のようにも思えましたが本当の驚きは、待たされていた中国人民の笑顔です。

天津は北京から一番近い港湾都市です。その2都市を結ぶ道路は、中国で最も重要な道路だったはずです。しかし、その大動脈は簡易なAS舗装でした。それも、片側1車線分の広さしか有りません。360度見渡しても畑だけの中を一直線に走っていました。そんな砂利道を北京に向けて1時間半ぐらい走った頃です。「北京に着くまでトイレ休憩はここしかありません」と云って止まったところは、今まで走って来たところとちっとも変わらない見渡す限りの畑の中です。ただ、私達の乗ったバスは反対車線に入って行き、道路を封鎖する形で3列になって駐車してしまいました。

2025年8月26日 リアップ
北京への道
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肝心のそのトイレハウスは、見た人の話では、日本の女性は使用出来ないような形態だったそうです。(私はそのトイレを見ていません)バスを降りると「男性はそこらですませて下さい」と云う声がしていました。だから男性は皆、畑に入って用をたしました。でも、女性はそうもいきません。500人の訪問団の半数は女性です。この女性群がトイレをすますのにおおよそ45分かかったと思います。ちなみに、うちのかみさんは、そのトイレを見ただけで、諦めて帰って来た、と云っていました。

天津は北京から一番近い港湾都市です。その2都市を結ぶ道路は、中国で最も重要な道路だったはずです。しかし、その大動脈は簡易なAS舗装でした。それも、片側1車線分の広さしか有りません。360度見渡しても畑だけの中を一直線に走っていました。そんな砂利道を北京に向けて1時間半ぐらい走った頃です。「北京に着くまでトイレ休憩はここしかありません」と云って止まったところは、今まで走って来たところとちっとも変わらない見渡す限りの畑の中です。ただ、私達の乗ったバスは反対車線に入って行き、道路を封鎖する形で3列になって駐車してしまいました。