2002年のロシア
2002年5月4日
 豪華な壁の装飾以外は非常に単純な形ですが、その巨大空間の創造には当時のロマノフ王朝の英知と富が注ぎ込まれたと思います。そして、カミさんと二人ため息をついたのは「琥珀の間」です。なんと、我が家一軒分ぐらいの部屋の壁が全て琥珀で覆われていたのです。ただし、第2次世界大戦でドイツ軍がその琥珀を全部略奪していったのだそうですが、現在修復中で7割から8割ほどの完成度でした。それでもその豪華さは群を抜いていて、その特異性から云って、ヨーロッパ中の宮殿の中でも際立つ豪華絢爛な空間だと思われました。(2003年5月に完成したと云うニュースが日本の新聞に載りました)
琥珀の間
謁見の間
エカテリーナ宮殿
この日はエカテリーナ宮殿の観光が全てでした。フィンランド湾に面するホテルから、おおよそバスで40分程南東へ行った処に、その白とライトブルーのコントラストが美しいエカテリーナ宮殿は在りました。私達は、今回の旅行の10日程前、レンタルビデオで西田敏行主演の「おろしや国酔夢譚」と云う古い映画を見てきました。前に一度見た事が有る映画ですが、今回サンクトペテルブルグを訪れるに当たって、改めて見ておこう!と思ったのです。
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エカテリーナ宮殿の外庭で

18世紀末、乗組員13人の日本船がオホーツク海で遭難しロシア東海岸に漂着します。船頭の大黒屋光太夫を中心にロシアの東の果てから、当時繁栄を極めていたロマノフ王朝の女帝エカテリーナに帰国とそのための援助を求めてロシアの西の果てのサンクトペテルブルグまで尋ねてきます。そして、エカテリーナ宮殿で女帝との謁見を許され10年後に3人が日本に無事帰国すると云う実話にもとずいた映画です。
その大黒屋光太夫が女帝エカテリーナと謁見した大広間は奥行き50m、幅25m、天井高さ10mぐらいの巨大な長方形の部屋です。床は単純な寄木張りで、天井には部屋の大きさそのままの巨大な一枚絵になっています。長辺方向は両面とも外部に面していて天井まで背の高い2段のアーチ型飾り窓がシンメトリに並んでいます。短辺方向も長辺方向と同じデザインに統一され、それぞれ2ヶ所づつの出入口が有りました。
5日目
そんなエカテリーナ宮殿を後にして、夕刻にはサンクトペテルブルグから今度は国内便で再びモスクワへと帰ってきました。夕食のレストランでは私達のグループ10人だけの為にロシア民謡の歌謡ショーが用意されていました。40年ぐらい昔、私達が10代の頃、どうゆう訳だか知りませんが、歌声喫茶なるものが町には在って、そこではロシア民謡がよく歌われていたものです。私も、姉や兄に連れられて、そんな歌声喫茶に通った記憶があります。そんな忘れていた記憶を蘇らせ、そして他国の民謡が日本で流行ったことが納得出来るほど素晴らしいと感じられるロシア民謡でした。