地下鉄のホーム
2002年のロシア
会場内の広場にて
ドキドキの地下鉄冒険の後では、こんな、なんでも無いひとときが、慌ただしい旅の間の、ちょっとした至福の時となります。つかの間の旅人ですが、通りすがる人達から見れば、私達でも、モスクワに住み馴染んだ市民に見えるかも知れません。そんな風に、その町に溶け込む事が出来る時、旅の幸せを感じる私達です。
2002年5月5日
武器庫の中のロマノフ王朝時代の宝物
サボールナヤ広場のウスペンスキー大聖堂
大クレムリン宮殿
旧大博覧会場の入口
ドーム屋根のある建物は大統領府
もちろん、クレムリンの中にはその他に、イワン大帝の時代以来の聖堂や宮殿が幾棟も軒を連ねています。現在の大統領府や大統領官邸も在ります。それらの建物は皆、それぞれ建設された時代を反映させて重厚な感じを漂わせていますが、そんな中で旧ソビエト時代に建てられ、共産党大会や中央委員会が開催されたクレムリン大会宮殿が異質な外観で、そこら辺りの雰囲気を台無しにしていました。でも、それを含めたものが現在のクレムリンなのでしょう。兎に角、日本のしがない一サラリーマンである私でも、そのクレムリンの中を見学しながらのんびりと歩ける事に、平和の有難さを感じながら夕陽に染まろうとする大クレムリンを後にしました。
武器庫と云っても実際は博物館になっていて、主にロマノフ王朝時代の、いわゆる宝物が所狭しと展示されています。その中をかなり長い時間をかけて、現地ガイドさんの説明を聞きながら展示品を見学していると、日本の江戸時代、徳川幕府が、ちまちまと、つつましく国の繁栄を願った事に比べて、同じ時代に繁栄したロマノフ王朝が、その国土の大きさに比例するぐらい強大な国を作り上げていた事実を見せ付けられる思いがしました。
そんな状態の中で見えたのは中央付近の階段入り口です。そこまで行ってみるとやっと分かりました。その階段は渡り廊下の入り口で、反対方向の電車は別のチューブの中を走っている訳です。つまりチューブが二本並列して存在し、登りと下りは別々のチューブの中を走っているわけです。分かってしまえば簡単ですが、地下の中では全体の姿は見えません。廻りに見えるのは、記号の様な文字ばかりです。
次ぎはプラットホームで左右どちらの電車に乗るか判断しなければなりません。ホテルにいる内に終着駅の名前を覚えて来た積もりだけど、記号のような長い文字は何度見ても覚えられません。文字の数まで確認してやっと目的方向の電車に乗り込みました。そして5番目の駅で乗り換えです。ところがプラットホームに下りても乗り換えの為には、どっちに行って良いのか分かりません。取合えず人の流れに付いて行くとエスカレーターに行きつきました。当然これは地上に向かっています。反対側に来てしまったんだと思って、二人してテクテクとプラットホームの反対側に歩いていきました。
これらの深い地下鉄は旧ソビエト時代に核戦争に備えて旧ソビエトとその同盟国に造られたと聞いています。そしてチェコとハンガリーの地下鉄に乗った以上は本家本元のモスクワの地下鉄に是非乗らなければと思っていました。でも、カミさんと二人、英語の通じない見知らぬ町をうろうろする自信は有りません。それに、地下鉄の地図を見るとかなり複雑です。そして日本で買ったガイドブックに掲載されている地図と現地で入手した地図には食い違いがあります。その日本のガイドブックにはロシア文字にカタカナの表示が有りますが、多分、車内放送を聞いてもチンプンカンプンです。
この日は、午前中が自由時間で午後には、あのクレムリンの見学です。そして夜には日本に帰るべく夜行便に乗らなくてはなりません。その午前中にどうしても体験したい事が有りました。地下鉄です。過去に、いろんな国で地下鉄に乗りましたがチェコのプラハとハンガリーのブタペストの地下鉄は印象深いものでした。エスカレーターがビックリするほど急勾配で尚且つ深さがすごく深いのです。多分、地下50m当たりを走っているのだと思います。エスカレーターの上から見下ろすと本当に地底に吸い込まれて行くようでした。
地下に降りる急勾配のエスカレーターの上から
大砲の皇帝
鐘の皇帝
再び聖ワシリー大聖堂
地下鉄の列車の中にて
そんなこんなでてこずりましたが、なんとか目的地「赤の広場」に到達すると、そこには、先日と同じ様にさんさんと降り注ぐ朝の太陽の光がありました。私達は例の色鮮やかな色調の玉ねぎ屋根を持つ「聖ワシリー聖堂」の直ぐ近くの木陰に入り、小1時間も、その不思議な建物を眺めていました。帰りの時間の不安がなければ、もっともっと眺めていたい私でしたが、早めに帰らないと何が起こるか分からない、と云う気持ちが大きくなり、ホテルに帰るべく再び地下鉄の入り口に入って行きました。
考えあぐねた結果、初日に行った「赤の広場」にもう一度行く事にしました。ホテルからは一回乗り換えるだけで行けます。そして何番目の駅で乗り換えて何番目の駅で下りるんだと言う事を確認して、二人オッカナビックリで出かけて行きました。チケットは一日通し券を買いました。窓口で英語が通じたのかどうか良く分からなかったけれどなんとかゲット出来ました。でも改札口で最初のトラブルです。改札口は無人です。様子をうかがっていると、殆どの人は素通りです。でも、たまに改札口の端に立っている四角い箱にチケットを指し込んでいる人がいます。それで安心しました。24時間使用可能だから最初の時刻をチケットに刻印するのです。
6日目
クレムリンの中を観光する人々
さで、午後からは、今回最後の観光となるクレムリンの内部です。そのクレムリンは2km以上の赤い城壁に囲まれた、ロシアの歴史の凝縮であり、10数年前の冷戦終結までは、世界を2分した一方の頂点だったわけで、その城壁の内側には、我々庶民の想像を絶する世界が広がっていました。もちろん、その多くは旧ソビエト時代以前に建てられた建物や、その時代ごとの権力を象徴する宝物の集積場ですが、特に武器庫と、その一部であるダイヤモンド庫には、驚かされたものです。
復路はさすがに、何のトラブルも無くスムーズに帰る事が出来ました。昼からの集合時刻までに少し時間が有ったので、ホテルの前の大通りの反対側に有る、BBU(ヴェーヴェーツェーと発音)と云う、かって大博覧会場だった処に行って見ました。その会場は、とてつもなく大きそうで、人の流れに沿って歩いていましたが、迷子になりそうだったので、そうそうに引き返し、入り口近くのカフェテリア風お店で、ガラスケースの中の、サンドイッチとハンバーガーを指差し注文して、窓際のテーブルで、外を行き交うモスクワ市民を眺めながら、ゆっくりと昼食にしました。
これで首尾良く乗り換えが出来ると思ったら大間違えでした。その別の地下鉄入り口から入って目の前のエスカレーターでプラットホームに下りると、又、問題発生です。真中にプラットホームが有って、両側が線路です。でも、両方とも同じ方向に電車が走っていて、私達の目的方向では有りません。日本では経験したことの無い状態なので半分パニック状態です。カミさんとの会話も険悪になってきました。つまり、上手く行かないのは全て私のせいなのです。
すると又、地上に上がるエスカレーターに突き当たりました。どう考えても途中に乗り換え用の通路は有りませんでした。仕方が無いのでそのエスカレーターに乗って上がってみると、そこには駅の出入口しか有りません。不安に駆られながら、若い優しそうな女の子に「クレムリンに行きたい」と簡単な英語で聞いてみると、駅の外に出て、又地下鉄に乗れ!と出口を指差します。云われた出口から外に出てみると、少し離れた道路の反対側に別の地下鉄入り口が有りました。
そして、急勾配のエスカレーターです。日本では早いエスカレーターと遅いエスカレーターが平行していたり、早く行きたい人の為に右側を空けていたりしますが、そんな必要はまったく有りません。地底に届くチューブの中を一気に滑り下りる感じです。距離もかなりのものです。深さは80m余りだそうです。そのチューブの中は上りと下りのエスカレーターが1本づつで階段は有りません。だから、このエスカレーターが故障で止まったら大変だろうな!などと思って不安になるほどでした。