ウズベキスタン

2006年9月22日〜9月27日

タシュケントのタシュケント・パレス・ホテル

二日目の早朝です。前日(旅行初日)は、お昼の12時に福岡を出発して、ソウルで乗り継ぎ、ここ首都のタシュケントに夜の9時過ぎに到着しました。時差が4時間なので約13時間半で福岡から着いたことになります。そして二日目は、朝食を済ませると、いきなりサマルカンドへ約5時間のバスドライブです。出発前のホテルで!
サマルカンドへの途中、トイレ休憩の場所で出会った女の子。眉毛が繋がってる様に見えますが、眉墨で描かれていました。ところで、ウズベキスタンの田舎のトイレ事情は劣悪で、女性を含めたツアーグループの全員が屋外で用を済ませることになってしまいました。
同じくトイレ休憩(2回目)をさせてもらったドライブインと言うか、村のレストランと云うか、カフェと云うか?厨房は屋外でした。つまり、首都タシュケントとウズベキスタン第2の都市サマルカンドを結ぶ幹線道路にも関わらず、沿線には商業施設は、ほとんど何もありませんでした。ここでも、男性は屋外トイレでした。
もちろん、テーブルも屋外です。テーブルと云っても長方形のちゃぶ台が巨大なベッドの様な台の真ん中に置かれています。男達は暇さえ有れば、このちゃぶ台の回りに座り込んで、日がな一日お茶をするそうです。私たちが訪れた9月の降水量は、限りなく0に近いと云うことで、写真の様に木陰がベストポジションです。
ビビハニム・モスク

世界遺産の都市サマルカンドに着いて昼食を取った後、最初に訪れたのはビビハニム・モスクです。1399年、インド遠征から帰ったティムールが造ったモスクで、かつてイスラーム世界で最大の規模を誇ったモスクです。
ビビハニム・モスク

入口の巨大なアーチ。一番上の部分はアラビア文字ですが、右から左に読みます。
ビビハニム・モスク

モスクの内部です。大モスク1つと小モスクが二つありました。
ビビハニム・モスク

青い空に青いドームです。全てモザイクタイル張りです。
ビビハニム・モスク

近所のおばちゃん達でしょう。モスクの中庭の大きな木の陰で、私たちが着いてから帰るまで、ず〜〜と、おしゃべりしてました。
シャブ・バザール

ビビハニム・モスクの隣はシャブ・バザールと言う大きな市場で、いろんなモノが売られていましたが、私はスイカとウリが気になりました。タシュケントからサマルカンドの途中、バスの窓からはスイカ畑もウリ畑も全然見当たらなかったからです。郊外のほとんどは砂漠の様でした。でも、市場の中でも、道路脇でも沢山のスイカとウリが売られていました。そして、どこのレストランで食べても、皆甘くて美味でした。
シャーヒズィンダ廟群

次に訪れたのはシャーヒズィンダ廟群です。廟群と云うぐらいですから、お墓の集まり、墓地ですね。ここにはティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に立ち並んでいます。これは、アミールゾダ廟(1386年)と云ってティムールの部下のひとりが葬られているらしい。
シャーヒズィンダ廟群

隣のシャーディムルク・アカ廟(1372年)と云ってティムールが愛した美しい姪を祀ったもので、入口の上には”貴重な真珠が失われ、ここに眠る”と云う言葉が書かれているそうです。内部の青いタイル装飾が本当に美しかった。
シャーヒズィンダ廟群

中間地点です。一直線の通りの内、ここら当たりだけが広くなっていますが、他は両側に霊廟が向かい合って並んでいます。この写真から廟の基本的な形と大きさが良く分かります。
シャーヒズィンダ廟群

フッジャ・アフマッド廟(1350年)で通りの突き当たりです。ここでは2番目に古い廟です。
シャーヒズィンダ廟群

突き当たりのひとつ手前右の廟で、ティムールお気に入りの妻、トゥマン・アカを祀ったトゥマン・アカ廟(1404年)です。同じツアーグループの81歳と80歳のおばあちゃん二人が立っています。
シャーヒズィンダ廟群

トゥマン・アカ廟のアーチ上部です。「人間到る所に青山あり」と云われますが、こんなにすばらしい青タイルに覆われたお墓に葬られた人達は、生前それぞれ幸せな人生を送ったのでしょうか。
シャーヒズンダ廟群を出た処のおみやげ屋のお兄ちゃんですが、彼の眉毛は本物で、右から左まで完全に繋がっていました。私が「ほんとうか?」って表情で見ていたら、顔を近づけて見せてくれました。15,6歳の少年なのに、それはそれは立派な眉毛でした。
レギスタン広場

2日目のサマルカンド観光を終えて、夕刻ホテルに着きましたが、そのホテルの窓から見えた、夕日に染まるレギスタン広場の建物群です。
グリ・アミール廟

同じくホテルの窓から見えたグリ・アミール廟です。レギスタン広場の夕焼けに見とれている間に、こちらは陽が落ちてしまいました。
2日目